snobbish adversaria

アニメ、マンガ、ゲーム、スポーツ、ギャンブル、音楽、時事ネタ。 管理人が日々関心のある様々なものに対する雑感。

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ばくしょう ―せう 0 【爆笑】
(名)スル
大勢の人が一度にどっと笑うこと。
「満場の人が―する」


格式高い言葉じゃないからヌルーされてるけど、これほど誤用例が多い言葉も、
少ないんじゃあなかろうか……。


てな感じで、一発ネタ記事で終わってもいいかなとも思ったけど、せっかくだから
色々関連した例を出してみる。
「要諦」という言葉がある。どう読むかご存知だろうか?
正解は「ようたい」だと私は思っていたのだけど、「ようてい」でも問題ないらしい。
確かに、諦の字に「帝」が入ってるから、知らないとそうとしか読めない。
悪貨が良貨を駆逐した例の一つ、というと傲慢過ぎるかもしれないが、誤読が
一般化したという、まあそんな例の一つである。

もう少し身近な例では、「すいません」「すみません」というのもある。
口語はともかく文章上では「すみません」が正しい。「済まない」を丁寧に言った
ものが「済みません」だから、「すいません」だと語源がわからなくなる。
とはいえ、今では「すいません」が文章でも使われている例見ることは、最早日常的
である。この辺、ら抜き言葉と似たようなものだろうか。私はどちらにも否定的な立場
なのであるが、ここまで広まってしまうともう一個人としては出来ることは少ない。
いちいちひっかかる私は負け組(私の好きな作家でも、川上稔氏は「すいません」だし
「ら抜き」文章である。(私にとって)氏の、ほとんど唯一の瑕疵だと言って良い)

また近頃遭遇した例では「ハングル語」なる言葉がある。
ハングル(訓民正音)というのは文字の名称である。朝鮮語をハングル語と
呼ぶのは、日本語を「ひらがな語」。英語を「アルファベット(ローマ字)語」
というようなものだ。よって、ハングル語なる名称は存在せず、
韓国語、朝鮮語が正しい。

と思っていたんだが、実は違った。
日本(のメディア)独特のハングル語なる用語が存在していたのである。

これを知った時に思ったのは、「ふいんき(←なぜか変換できない)」
のネタだった。正しい知識だと思っていたら、実は一周回って間違いでした、
というやつだ。ここの1の人みたいに、半永久的に残る公共の場で
マジレスしてしまう事態には、これからも気をつけねばならない(笑)
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今日、ブックオフに行ったら、EdguyのROCKET RIDEが五枚も置いてあった。皆、現実に対しては素直なんだなあ、と思ったり(笑)

それを横目に私はというと、アニメタル・マラソンが250円という破格で
売られているのを目聡く発見し、ほくほく顔で即買。いやーアホ杉&暑苦しくて
最高。38曲全曲メドレーという神をも恐れぬ所業。笑いが止まらないw

それにしても以前もこの店では、守護神伝 完全版950円(!)で買ったことや、
ブラガの4th・5thを二枚1500円で入手したこともあった。

値札付けてる人、さんきゅう。 このページのトップへ
速度のユニバーサルデザイン黒須教授のUser Engineering Lecture

単車線以外の道路には走行車線と追越車線があることは、少なくとも運転免許を持っている人なら誰でも知っている。この区別がなかったら、遅い車と早い車が混在し、道路は車線変更と追い越しだらけでレースコースのような混乱状態になってしまうだろう。事故も多発するに違いない。その意味で、こうして車線を分けるというのは各ドライバーの必要性や状況、特性に対応した多様性に向けたデザインという意味で、結果的にユニバーサルデザインになっているということができる。

エスカレータでも立っている側と歩いて上る側を区別するようになったのはユニバーサルデザインの発想と同じである。こうした時、歩いて上る側で立ち止まってしまっている人がいると、それは後ろにつながる人々を不愉快にさせる。経験的に、多くの場合、そうしたことをしてしまうのは高齢者が多い。ユニバーサルデザインの実現には仕組みの設定も必要だが、人々の自覚も必要なのだ。高齢者は基本的には保護される側にいるから、他人に対する配慮をしなければいけないという感覚が鈍磨してしまったのかもしれない。いや、単に知識がないだけなのかもしれないが。こうした時には直後になってしまった人の責任もある。僕は、立ち止まった人が前にいると「すみません」と一声かけて脇にどいてもらう。せめて、そうしたことをすべきだと思っている。自分だけの問題ではなく、自分の後ろにつながっている人たちの問題でもあるし、そうした声掛けができるのは直後の人間しかいないのだから。

この文を読んで真っ先に思いついたのはこのコピペ↓。
アメリカのNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、
無重力状態ではボールペンが書けないことを発見した。
これではボールペンを持って行っても役に立たない。NASAの科学者
たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費を
かけて研究を重ねた。 その結果ついに、無重力でも上下逆にしても
水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、どんな状況下でもどんな表面
にでも書けるボールペンを開発した!!

一方ロシアは鉛筆を使った。  民族性コピペネタ


コピペは完全なカウンターにはなっていないが、要は私が何を言いたいのかというと、
急いでるなら階段使えよ」ということ。

関西と関東では空ける側が逆だとか。だから統一しろとか。そもそも空けないやつが
いるから徹底しろとか。その都度注意しろとか。こういう指摘は立脚点からいきなり
おかしいのである。

知らない人もいるかもしれないが、エスカレーターでは基本的に追い越しは禁止
である。 参照:社団法人 エレベータ協会:安全・快適にご利用ただくために
勿論、これは道路交通法の様な厳密なものではないが。

エスカレーターの片方を空けるのは使用している内に、自然と定着した形なのだろう。
しかしそれは安全性の保証がされていない行為、いわばメーカー保証外である。
エスカレーターはそのような乗り方をするように作られていない。やる側は
リスク覚悟ですべきであるし、それを拒否したとしても、どうこう言われる筋合いは
本来ない。

とはいえ、流れに合わせる、ということも重要なことなのは確かではある。
街中で制限速度を律儀に守っている車があるか? というのと似ている。
日常的には教習所で習ったとおりに走っているとかえって危ない。
って、これは大阪だけかもしれんw
そういえば、車では流石に信号無視は稀だが、歩行者の場合は普通な大阪では、
この意見は強い支持が得られるかもなぁ。

※大阪とその他の地域では、信号機の権威が、日米の野球の審判のそれと
同じくらいに違う。信号はあくまで指針の一つであり、赤信号だが車が来ていない
→渡ってよし、ってのが大阪のデフォ。これがお隣の京都に行くと、かなり控えめ。


まあエスカレーターの場合は、最初にも言ったとおり階段があるのだから急ぎたきゃ
そっち使えよ、で済む気もする。どうしても追い越しをしたいんなら、コピペの中の
米国を見習って多額の資金を使い、日本中のエスカレーターの幅をでっかくしたら、
あっさり解決。ワッフー。

と反論を言ったものの、リンク先の記事。↑の中にもある高齢者の自分以外に対する
配慮不足や、下の方の専用バスとかの話には賛成できる。例えば大阪の市バスで、
車椅子の人が乗車する際の手順は(付添の有無関わらず)こうである。
運転手が下車 → 車椅子を持ち上げ乗車 → 車椅子を固定 → 運転席に戻る
この手順には当然、数分を要する。急いでいる時に当たると悲劇だ。

これは明らかに過度の待遇であり、弊害が起きてしまっている。
コレに限らず、高齢&障害者即絶対正義みたいな雰囲気は勘弁して欲しいと思う。
一昔前に比べれば、バスならばノンステップバス(バス全体の段差が少ないので
乗降が容易)。電車や各種施設にも人に優しい仕組みの導入などで明らかに
利便性は上がっている。しかし機械が対応しても、人の対応・認識は依然、
イマイチ最適化がなされきっていない感が強い。


そんなわけでエスカレーターの件はともかく、平等な視点からの本当に快適な環境、
ルール、仕組を作ろうという意図自体は大賛成なので、今後とも黒須氏の活躍を
影ながら応援していきたいところだ。 このページのトップへ
ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女

言わずと知れた、ファンタジー作品の傑作である同名の原作の映画化だ。

指輪物語、ゲド戦記と並べて三大ファンタジーとも称される。尤もこれは
歴史的な視点からの分類であって、純粋な人気投票(オールタイムベスト)
を行った場合、指輪物語は別格として、後の二作はベスト3とは行かない
と思われる(実際、これまた有名なファンタジー大作であるところの
「ベルガリアード物語」の外伝「銀狼の花嫁―魔術師ベルガラス〈1〉」
解説によると、アメリカのSF専門誌「ローカス」の1998年八月号に掲載された
「ファンタジイ・オールタイム・ベスト投票」(対象は1990年以前の作品)に於いて、
指輪物語は一位。その前章である「ホビットの冒険」が二位
「ゲド戦記」は四位ナルニアはベスト10に入っていない)。

ファンタジー作品の映画化については、「Lord Of The Ring(以下、指輪)」が
正に風穴を開けたという感じで。不可能と思われた数々の表現を見事に
克服してのけた。恐らく今後、かつてのアメコミ作品ラッシュのような、
ファンタジー作品ラッシュが起こるだろうといわれており、実際に権利を
抑える作業は既に其処此処で始まり、そして完了していることだろう。
その動きの先陣を切るのがこのナルニア国物語である。

原作ネームバリュー。配給はあのディズニー。ロケ地はニュージーランド。
主CGを手がけるのはWETAと、正に二匹目の泥鰌を狙う二番手を行くに相応しい。


が!!


私はこの作品を見に行く予定は無かった。
理由一:元々、原作への思い入れがあんまり無い。
理由二:原作の児童文学色が色濃い。しかも配給がディズニー。
理由三:ネット他の前評判の地味さ。

といったところからだ。しかし偶然、友人からの誘いがあったので
付き合うこととなった。本来は、

少佐「本当に見たい映画は一人で見ることにしてるの」
罵倒「じゃあ、それほど見たくない映画は?」
少佐「見ないわ」

に同意する私であるのだが、その友人は"話せる"人間であるのでまあいいか、と。

で、感想。以下の条件に該当しない人は見に行かない方が良いです。
・原作に強い思いいれがあり、かつ映像化されれば内容は問わない。
もしくは
・10歳~15歳である。

当初の予想の通り、あくまで子供向けなのである。悪い意味でおとぎばなし
「指輪」を期待すると酷い肩透かしを食らうので注意されたし。とにかく
全編突っ込みポインツの嵐。

描写不足と説明不足。故に、全編に渡って説得力が皆無
故に、感情移入出来ない。
(具体例についてはもろネタバレも含むので、下のリンクをクリックしてご覧下さい)
最も描かれているのは当然主人公の四人兄弟なのだが、ハリー・ポッターの
三人に比べるとイマイチ個性が薄いので、アイコンとして弱い。

ファンタジーチックなキャラクターや目を瞠る大規模戦闘。圧倒される絶景も、
今となってはそれほどの新鮮味は無い。

ハリー・ポッターも毎回ダイジェスト色が強いが……。
「指輪」の完成度の高さがどれだけ奇跡的なものかがよく理解できた。
まあ、「指輪」と違ってナルニアは一話完結型だから、一章で打ち切られても、
違和感は無いけどねw

しかし、散々に言ったがそれでも、↑に書いた年齢の人は絶対に見るべきだと思う。
「ここでは無いどこかに行きたい」「ヒーローになりたい」「剣と魔法の世界イイ!」
というその年頃に顕著な生物学的な欲求を、凄まじく満たしてくれるだろうから。
勿論、映画を見た後には原作を読むこともお薦めしておく。

ナルニアは萌え資源がやや不足しているので、
オタクの方が現実逃避の舞台として選ぶのにはお薦め出来ないw

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叡昭、AShou
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